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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第23話。
むかし
南の島から、
やがてその男は、
その男は、島に人がいるかどうか確かめてみましたが、島には人がいません。
男は、考えた
それから
それを見た男は、ここは人が
そのうちに、この島には人間が多くなって、
そこで、人々は神に、この島を大きくして下さいと願いしました。すると神は、その
さて、そうして
するとそこに、
この
※この話の参考とした話
①『沖縄の民話資料』第一集小禄地区(1)
②沖縄先島・沖縄県八重山郡与那国町~『与那国の歴史』
③沖縄先島・沖縄県八重山郡与那国町祖納~『与那国島の昔話
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●伝承地
①沖縄先島・沖縄県八重山郡与那国町与那国~
大昔、南の島から陸地を求めて来た男がいました。やがて、その男は、大海原の中に、ぽつんと盛り上がったドニ(※小さな陸地)を発見しました。その男が、ドニに人がいるかどうか確かめると、このドニには人はいませんでした。
この男は、考えを出してやどかりを矢で放ちました。
それから幾年かたって、このドニに来てみると、ひとつのやどかりが、見事にたくさん繁殖していました。
それで、人間が住める島だと思いました。やがて男は、南の島に帰って家族みんなを引きつれて、このドニに住みつきました。そのうちに、人間が多くなったので神様に、このドニを大きくして下さるようにお願いしました。又、神様に草木を下し給うようにお願いすると、すぐ色々の草木を下さいました。
この後、暮らしているうちに、四ケ月間も大雨が降りました。それで、この島に住んでいる人は、食べる物燃す物がなくなり飢え死にしそうだったが、一人の老人が現れて来て、生の竹が良く燃えることを教えました。やがて、神様のおかげで雨もふりやみ作物もできるようになりました。
この島で最初に太陽の光があたった所が、「てだんどぐる(太陽所/てぃだんとぅぐる)」と言って、今日に至るまで拝所となっています。
(『沖縄の民話資料』第一集小禄地区(1))
②沖縄先島・沖縄県八重山郡与那国町~大昔、南の島から陸地を求めてきたその男は、大海原のなかに、ぽつんと盛り上がったドニ(土根)を発見、そのドニに人間が住めるかどうかをためすために、宿借を矢で放った。数年後、このドニに来てみると、宿借はみごとに繁殖していたので、男は家族を引連れて、このドニに住み着いた。そのうちに人間が多くなったので、ドニを大きくしてくれるよう神に願った。神は、ドニを大きくしてくれた。次に草木を降ろすように願うと、神はその通りにしてくれた。こうして緑の与那国島ができた。ところが、その緑の島に天災がやって来て、四ケ月も大雨が降り続き、薪もなくて寒さと飢えがせまった。そこへ一人の老人が現われ、生の竹がよく燃えることを教えてくれ、人々は救われた。やがて大雨も止み昔以上のみごとな緑の島となったが、そのとき、最初に太陽の光の差し込んだ所をテダン・ドグル(太陽所)と称して、今に拝所となっている。(『与那国の歴史』)
③沖縄先島・沖縄県八重山郡与那国町祖納~昔、与那国島に三か月も雨が降り続いて、食べることが全くできなくなった。人々は、ひたすら太陽のさし込む日を待ち望んでいたが、ある日、子どもが井戸の中をのぞき込むと、そこに太陽の影が映っていた。子どもの知らせで、村人はその太陽の影を拝み、それ以来、そこをテイダンドウグル(太陽所)と称して、村祭にはツカサが必ず合掌する所となった。(『与那国島の昔話』)
※「てだん・どぐる」は、祖納の集落の中道(ナガミテ)付近に、拝所がある。ただ非常に見つけるのが難しいので、地元で聞いた方がよい。公民館の敷地の一角にあるが、入り口が路地で、人家の前を通った奥に、公民館の敷地があり、非常に分かり難く、聞くまで周囲をさんざん探し回って諦め、地元の方に聞いてやっと辿り着けた。
①沖縄先島・沖縄県八重山郡与那国町与那国~
大昔、南の島から陸地を求めて来た男がいました。やがて、その男は、大海原の中に、ぽつんと盛り上がったドニ(※小さな陸地)を発見しました。その男が、ドニに人がいるかどうか確かめると、このドニには人はいませんでした。
この男は、考えを出してやどかりを矢で放ちました。
それから幾年かたって、このドニに来てみると、ひとつのやどかりが、見事にたくさん繁殖していました。
それで、人間が住める島だと思いました。やがて男は、南の島に帰って家族みんなを引きつれて、このドニに住みつきました。そのうちに、人間が多くなったので神様に、このドニを大きくして下さるようにお願いしました。又、神様に草木を下し給うようにお願いすると、すぐ色々の草木を下さいました。
この後、暮らしているうちに、四ケ月間も大雨が降りました。それで、この島に住んでいる人は、食べる物燃す物がなくなり飢え死にしそうだったが、一人の老人が現れて来て、生の竹が良く燃えることを教えました。やがて、神様のおかげで雨もふりやみ作物もできるようになりました。
この島で最初に太陽の光があたった所が、「てだんどぐる(太陽所/てぃだんとぅぐる)」と言って、今日に至るまで拝所となっています。
(『沖縄の民話資料』第一集小禄地区(1))
②沖縄先島・沖縄県八重山郡与那国町~大昔、南の島から陸地を求めてきたその男は、大海原のなかに、ぽつんと盛り上がったドニ(土根)を発見、そのドニに人間が住めるかどうかをためすために、宿借を矢で放った。数年後、このドニに来てみると、宿借はみごとに繁殖していたので、男は家族を引連れて、このドニに住み着いた。そのうちに人間が多くなったので、ドニを大きくしてくれるよう神に願った。神は、ドニを大きくしてくれた。次に草木を降ろすように願うと、神はその通りにしてくれた。こうして緑の与那国島ができた。ところが、その緑の島に天災がやって来て、四ケ月も大雨が降り続き、薪もなくて寒さと飢えがせまった。そこへ一人の老人が現われ、生の竹がよく燃えることを教えてくれ、人々は救われた。やがて大雨も止み昔以上のみごとな緑の島となったが、そのとき、最初に太陽の光の差し込んだ所をテダン・ドグル(太陽所)と称して、今に拝所となっている。(『与那国の歴史』)
③沖縄先島・沖縄県八重山郡与那国町祖納~昔、与那国島に三か月も雨が降り続いて、食べることが全くできなくなった。人々は、ひたすら太陽のさし込む日を待ち望んでいたが、ある日、子どもが井戸の中をのぞき込むと、そこに太陽の影が映っていた。子どもの知らせで、村人はその太陽の影を拝み、それ以来、そこをテイダンドウグル(太陽所)と称して、村祭にはツカサが必ず合掌する所となった。(『与那国島の昔話』)
※「てだん・どぐる」は、祖納の集落の中道(ナガミテ)付近に、拝所がある。ただ非常に見つけるのが難しいので、地元で聞いた方がよい。公民館の敷地の一角にあるが、入り口が路地で、人家の前を通った奥に、公民館の敷地があり、非常に分かり難く、聞くまで周囲をさんざん探し回って諦め、地元の方に聞いてやっと辿り着けた。
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くがなーサマ。こんにちは。
「てだんどぅぐる」という与那国口は、
まだ、「てだ」という言葉から、意味はわかるものの、
その言葉の思いなどを考えると、
取り敢えず、
まずは与那国に行ってみたい、
与那国で、太陽を見てみたいという思いが募ります。
くがなーサンに、与那国口を見て頂いただけで、書いてよかったです。
また、コメント、ありがとうございます。
では。
「てだんどぅぐる」という与那国口は、
まだ、「てだ」という言葉から、意味はわかるものの、
その言葉の思いなどを考えると、
取り敢えず、
まずは与那国に行ってみたい、
与那国で、太陽を見てみたいという思いが募ります。
くがなーサンに、与那国口を見て頂いただけで、書いてよかったです。
また、コメント、ありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2010年11月07日 07:12
Posted by くがなー at 2010年11月06日 15:54
艶子さま、はいさい、ちゅーうがなびら。
風の吹くままですか?
そういうの、僕も大好きです。
北海道も沖縄も、とびっきり、素適です。
元気を頂きました。
艶子さんのように、前向きに、ちばろうと思います。
共に、頑張りましょう!
コメント、ありがとうございます。
では。
風の吹くままですか?
そういうの、僕も大好きです。
北海道も沖縄も、とびっきり、素適です。
元気を頂きました。
艶子さんのように、前向きに、ちばろうと思います。
共に、頑張りましょう!
コメント、ありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2010年11月05日 06:15
Posted by 艶子 at 2010年11月04日 22:26
コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。
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