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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第33話。


多良間の島建(しまだて)



 むかし(むかし)、それも大昔(おおむかし)のことです。
 ブナジェーという兄妹(きょうだい)(かみ)がおりました。
 ある日、南の方から、突然(とつぜん)大きな(なみ)が島に()()せて()たのでした。
 二人は(あわ)てて、ウイネーツヅという(おか)()()がり、雄日芝(オヒシバ)にしがみついて、(なん)とか(なん)(のが)れることができました。
 (なみ)()いて周囲(しゅうい)見回(みまわ)すと、家や村はすっかり跡形(あとかた)もなく波にさらわれていて、()()びたのは兄妹二人だけなのでした。
 その後、二人はいつしか夫婦(ふうふ)(ちぎ)りを(むす)んで、島の再建(さいけん)(はか)りました。
 二人の兄妹(きょうだい)神は、ポウ()パカギサ(とかげ)アズカリ(シャコ貝)ブー(麻苧/あさお)を生みました。それから人間を生んで、多良間島は次第(しだい)に元の姿に(もど)っていきました。
 多良間島には、ブナジェー兄妹を(まつ)(ほこら)ブナジェーウガムがあり、島建(しまだて)の神として昔から(あがめ)められているそうな。


 
※この話の参考とした話
沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間村仲筋~『多良間村の民話』
沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間村~『村誌・多良間島』
沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間島~『遺老説伝』巻二
沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間島~〔多良間嶋立始由来の事〕『宮古嶋記事』〔乾隆十七年本〕


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●伝承地
沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間村仲筋~ブナゼーの神様が鎮座されたのは、ごく昔。百姓たちだったのだろう。日雇い時代の人たちは、主人たちは、ブナビとなって、ブナビは、その時期まで自分の畑を鍬かヘラで耕す時期が遅れていると、ブナビといって、兄弟、友だちを皆頼んで、蒔付け、植付けの時期が外れないように皆で加勢するのです。頼んだ家からその日のまかないは、おみき、あえもの色々御馳走を準備して来てあげるのです。男たちは、友人たちを頼んで行って耕して下さるし、お母さんが、食事を準備して仕事場へと持っていらっしゃる時、このブナゼーの神様たちは、ブナイ、ビキイ、兄妹二人に、
「君たちは遊んでいなさいね。お母さんは畑にこれを持って行ってあげてくるからね」とおっしゃったそうで、その子供たちはいたずら遊びをしていたが、お母さんが来たと見るや、後を追いかけ、泣きながら走っている中に、ウィネー丘といって土原御願の後の方に小高い丘がある。兄妹二人が、そこまで登るまでには、お母さんは、西の方から、どこまでも走って遠ざかった。
 そして、ブナゼーの神様、ブナイとビキイとはウイネー丘まで来る途中に、津波が上がって来て流し込んだらしいので、このブナゼーの兄妹二人は、「あれ、あれ」と慌てながらからづかみをして、手に当るものをつかんでおられるうちに、津波はもう干いて、やっと二人生き残って、あたりを見回まわすと、(つかんでいた物は)芝生に生える草であったらしい。それを力芝という。
 そして、たった二人だけ生き残られたそうです。ところが、やはり人間というものは、女、男相手があってこそ子孫は繁昌されるからやむを得ない。兄妹二人ではあるが、子孫のためには夫婦になって行かなければならないということを考えられるまでの年頃まで来たのだろう。そして、ついに夫婦になって、兄妹二人で多良間島を建てられて、血が近いので始めはシャコ貝、次は苧糸を産んで、後から蛇とか、トカゲとかいうような動物などを産んで、その後から人間をお産みになったそうです。
 そして、多良間島だけが人間同志夫婦になり、子孫を儲けて多良間島をば建てたという話。
 しかし、伊良部島は馬と人間との話があるねえ、宮古本島は犬と人間。沖縄は豚と人間とのこと。(『多良間村の民話』)
沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間村~大昔、ブナゼーという兄妹がいた。ある日、畑に出て仕事をしていると、南の方から突然、大きな波が押し寄せてきた。二人は慌ててウイネーツヅという丘に駆け登り、シュガリガギナ(力芝)にしがみついて難を逃れた。周囲を見ると、家や村は波にさらわれて、助かったのは兄妹二人だけだった。そこで二人は夫婦の契りを結び、村の再建をはかった。最初に生まれたのはポウ(蛇)とパカギサ(とかげ)で、次にアズカリ(シャコ貝)とブー(麻苧)が生まれた。三番目にほんとうの人間が生まれて、島は次第に元の姿に返った。村の西方にブナゼー兄妹を祀る祠があり、島建の神として崇められている。(『村誌・多良間島』)
沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間島~昔、宮古山多良間島に、一夫婦有り。夫、名は伊知乃蘆、婦、名は姥保那末屋。倶に是れ存心正直、敦厚誠実にして、常に道を重んじ儒を崇び、父母に孝養し、昆弟と和睦す。好く恩恤を施し、敢て悪を行はず。一日、他の夫婦、数十余人と同に、共に嶺間に往き、田圃を耕種す。此の時、海水泛隘して白浪滔天し、相随ふの人、尽く浪の為に捲かれ、海中に沈没す。独り他の夫婦、天の祐を得、此の災殃を免れ、以て性命を全うす。後、一男一女を生む。男、名は土原大殿。二女(名は不祥)、賦性敏慧にして容貌秀麗、人中の罕有、世上の尤稀なり。故に郷人之れを見て、称美せざるは無し。長女は多良間の主張真大殿に適ぎ、次女は遠曾呂(水納島の世農主土原大殿の孫)に適ぐ。(『遺老説伝』巻二)
沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間島~〔多良間嶋立始由来の事〕右上古は、兄伊地之按司、妹ふ(ほ)なさかやと申候テ両人罷在候。一日彼(該)両人、仲筋村長底原と申所へ罷出、畠仕事仕候砌、南海より大濤を起、四海波揚候を見付、驚入、則高嶺と申山へ這登、我等兄妹之一命御助下被かしと手を合掌して頻りに天に祈誓し、其儘十方失、臥居候処、嶋中人家残不一同引流され候。右兄妹両人、不思議ニ助命致、夢の覚たる心地にて起立、(謹而)天に拝し、忝も我等此嶋に残居侯儀、天の恵を垂給ふ故なりと有難存奉、最早此嶋に他人なき上ハとて、兄姉(妹)夫婦の縁を結ひ、子孫繁栄致、嶋立申為由、古伝之有候事。(『宮古嶋記事』〔乾隆十七年本〕)


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