シダテムト ~琉球沖縄の伝説

2010年11月23日

Posted by 横浜のトシ(爲井) at 20:20│Comments(0)琉球沖縄の伝説・沖縄先島編

みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第42話。


シダテムト



 むかし(むかし)のお話、五穀豊作(ごこくほうさく)(かみ)、シダテの神さまについての、先祖(せんぞ)から()(つた)えられてきたお話です。
 むかし久米島(くめじま)に、とても(なか)がよい兄妹(きょうだい)の神さまがおりました。
 ところが、次第(しだい)二人(ふたり)(あい)()うようになり、(つい)に男と女の関係(かんけい)になってしまいました。その(こと)父親(ちちおや)()るところとなり、(ちち)大層(たいそう)激怒(げきど)しました。その(いか)りは(しま)真面目(まじめ)()らす人々(ひとびと)手前(てまえ)があったからであり、(おや)()(けが)不届(ふとど)(もの)として親子(おやこ)(えん)()()られたのでした。そして父親は二人を島流(しまなが)しする(ほか)ありませんでした。
 まだ(おさな)さが(のこ)()子達(こたち)運命(うんめい)不憫(ふびん)(おも)った母親(ははおや)は、父親(ちちおや)内緒(ないしょ)マズ()ムズ()アー()ツン()スーミ(大豆)五穀(ごこく)種子(しゅし)をせめてもと、思いを()めて丸木舟(まるきぶね)の中に(しの)ばせました。
 そして、いよいよ(わか)れの(とき)がやって()ました。
 (おや)勘当(かんどう)され、(いま)にも(なが)されようとする()()(まえ)に、(なみだ)(なが)しながら(はは)はそっと二人(ふたり)耳打(みみう)ちしたのでした。
 何処(どこ)かに(なが)()いたら、(たが)いを(しん)じて(たす)()い、(ちから)()わせて五穀(ごこく)(たね)()き、二人で大切(たいせつ)(そだ)てながら、いつまでも(しあわ)せに()らすのですよと、(わか)れの言葉(ことば)(おく)ったのでした。
 それから二人(ふたり)島流(しまなが)しになりました。
 さて小舟(こぶね)()()のように、どこまでもどこまでも、()てしなく(ひろ)がる(あお)(うみ)を、(かぜ)(まか)せて漂流(ひょうりゅう)して()ったのでした。両手(りょうて)をしっかりと(にぎ)りしめ()った二人を()せたまま。
 数日後(すうじつご)のことです。(すす)(さき)宮古島(みやこじま)()え、その島影(しまかげ)は、みるみる(おお)きくなりました。そして(ふね)は、狩俣(かりまた)の村の浜辺(はまべ)(なが)()いたのでした。
 (さいわ)二人(ふたり)には何事(なにごと)もなく、元気(げんき)(りく)上陸(じょうりく)したのでした。
 (はじ)めに二人は、屋号(やごう)がシブ屋といわれる(ところ)で生活し、それから農業(のうぎょう)出来(でき)土地(とち)(もと)めて、島の奥地(おくち)(はい)って()きました。
 その結果、シダテムトという土地(とち)開墾(かいこん)し、そこに(いえ)()て、()らし(はじ)めたのでした。
 勿論(もちろん)(はは)愛情(あいじょう)()もった五穀(ごこく)(たね)を、二人は大切(たいせつ)に大切に(そだ)てました。そして()もなく作物(さくもつ)見事(みごと)(みの)り、豊作(ほうさく)でした。
 やがてその五穀(ごこく)は狩俣の村全体を(ゆた)かにしました。そして(しま)村々(むらむら)にも五穀は広まってゆきました。
 それからというもの狩俣の村では、五穀豊穣(ごこくほうじょう)の神として、二人はシダテムトに(まつ)られているそうな。


 
※この話の参考とした話
沖縄先島・沖縄県平良市(現、宮古市平良)狩俣~『狩俣民俗史』
沖縄先島・沖縄県平良市狩俣~沖縄民俗」十二号


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●伝承地
沖縄先島・沖縄県平良市(現、宮古市平良)狩俣~シダテの神様は、五穀豊作の神として祀られています。伝説によれば、この神様は、久米島で親の勘当を受けて島流しされた狩俣の北海岸(遠見の浜)に流れ着いた神様とのことです。勘当された神様は、兄妹の二人ですが、勘当された理由は、兄妹でありながら、二人とも愛し合い肉体関係までしていたのが親に知られたので、親は大変お怒りになり、親子の縁を断ち切って島流しする事になりました。その時母親は、いよいよ島流しされる我が子をふびんに思い、父親には知られず、米、粟、麦、豆、インの五穀の種子を、今に流されんとする我が子の乗っている丸木舟の中にそっと押し入れ、涙を流して、二人とも何処へ流れ着いてもこの五穀の種子をまいてくらすようにしなさいと、別れの言葉を送りました。まもなくして二人は島流しされます。舟は風まかせで数日間漂流して、狩俣の北海岸(遠見の浜)に着きました。幸いに二人とも生命に別条なく元気でした。最初はシブ屋(屋号)に生活していましたが、後に現在のシダテムトに住居を移されて、母親の下さった五穀の種子をまいて部落に広め、狩俣の農業発展のためにつくされたので、五穀豊作の神としてシダテムトに祀られています。(『狩俣民俗史』)
沖縄先島・沖縄県平良市(現、宮古市平良)狩俣~ユヌヌシムトゥ(世之主元)ともシダディ元ともいう。五穀の神さまで、昔久米島から兄妹二人が近親姦通をしたために、親の名をけがす不届き者ということで、父親の勘当を受けて島流しにされた。そのことで母親は二人を不憫に思って下男をつけて、マズ(米)・ムズ(麦)・アー(粟)・ツン(稗)・スーミ(大豆)の五穀の種子をそっと持たせてやった。二人は狩俣部落の西の浜、俗に前(めえ)ぬ浜、高浜といわれる所に流れ着いた。二人は、農業のできる土地を求めて、奥の方へ入って行き、今のシダディ元のある所に屋敷を構えて、母親からもらった五種の種子を蒔いて農耕した。やがて作物が稔って豊作になり、部落中がそのお陰で豊かになった。(『沖縄民俗」十二号)


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