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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第37話。
むかし
その船は、琉球の
ところがこの船は
ところで、この
ところが
漁師が島に
ちょうど「いぬがん」に
「この
こんな
それにしても、あの女性を
そう
そこで
しかしながら実際のところ
その時、男は、
男の
敵も
それでも
そして
ところが
そこで男はまた、じっと
そして大変な
犬を
話を
それから、この二人の与那国島での
そして夫婦の
しかしながら日が
ふる里を
そして
さて、まるで
それでも、
その後、
もちろん、ただ与那国島の家族のことだけは話しませんでした。
そんな
それを聞いた
仕方なく男はある夜、
それを知ると老妻は、ますます
その
さて一方、
すると、その夜のことです。
妻である
あくる朝、
さて、その後ですが、子ども五男二女から、与那国島はどんどん
そしてまた、この話も親から子へと伝わり、たとえ子どもを七人
※この話の参考とした話
①沖縄先島・沖縄県八重山郡与那国町~『与那国の歴史』
②沖縄先島・沖縄県八重山郡与那国町~『与那国島図誌』
※くがなーサンより、教えて頂きました。
小浜島は、「こはまじま/くばまじま」が正しい読み方だそうです。また、石垣島方言では、「くもー」とか「くもーま」と、呼んだりするそうです。くがなーサン、ありがとうございます。
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●伝承地
①沖縄先島・沖縄県八重山郡与那国町~大昔、久米島から、特別仕立ての船が、琉球本島へ向って出帆しました。その船は琉球中山王に奉る貢物を積んでいました。ところが荒天に遭って、とうとう漂流してしまいました。流れ流れて、ようやく辿り着いた所は与那国島でありました。上陸して見ると住み心地のよさそうな無人島でありました。この一行に一人の女と一匹の犬が加わっておりました。ところが或夜から、一行の中の男が一人一人行方不明になって、ついに女と犬だけが生き残りました。男達は犬にかみ殺されたのであります。それから女と犬は「いぬがん」と言う所で、一緒に暮しておりました。
話かわって、お隣の小浜島で、或日、一人の漁夫が小舟に乗って、潮干狩へ行きましたが、帰る途中に、にわかの荒天にあって漂流しました。彼もまた流れ流れて、たどり着いた所は与那国島でありました。上陸して見ると人家はありません。此処彼処さがし廻って、ようやく「いぬがん」にきました。ここで、小浜男は久米島女に会いました。女は大変驚いて、此処には猛犬がいて、危険な所でありますから、今、犬の不在を幸いに、早くこの島から逃げてください、とうったえました。
しかし小浜男は久米島美人の手前もあったのでしょうか、島を逃げ出そうとしないで、かえって勇気をふるいおこして、猛犬退治を決心しました。それで、久米島女には島を去るように見せかけておいて路ばたの大樹にのぼっていました。腰には蛮刀をさしこみ、手には漁獲用の銛をもっていました。案の定、まもなく猛犬が現われて、樹上の男を見るや、たけりたって大木にとびかかりました。男は機を見て、犬に銛を打ちこみましたが、犬はますます猛り立って、なかなか弱りませんでした。それで男は樹からとびおりて、直ちに蛮刀を犬にあびせかけました。流石の猛犬もついにたおれてしまいました。
小浜男は、久米島女に会って、いさましく犬退治の始末を話ました。久米島女は、犬の死骸はいずこに埋めてありますか、と聞いただけで、後はだまってしまいました。小浜男はどうしたのか、犬の死骸の埋めてある場所を話しませんでした。そのうちに、この二人は夫婦になって、五男二女を産むまで幸福に暮らしておりました。しかし好事魔多しで、ついにこの小浜男に不幸な時がきました。それは、小浜男がふる里を思う心をたち切ることが出来なかったために、小浜島へ帰ったことから始まります。
今浦島のように、故郷の小浜島へ帰ってきた小浜男は、島の人々をびっくりさせました、長い月日を波の音と共に暮してきた老妻は涙を流して夫を迎えました。漂流の話、与那国島の話、その後の小浜島の出来事等々語り交わしている内に、月日は流れてしまいました。或日、小浜男は老妻に与那国島にのこしてきた家族の事のしだいを話しました。そうして再度の与那国島行きの話をしましたら、老妻は怒ってなかなか聞き入れませんでした。それで、男はある夜ひそかに小浜島をにげ出しました。怒った老妻は、小浜島と与那国島とは縁を切った、と叫んで、機にかけてあった織物を断ち切ってしまいました。その因縁によって、今にいたるまで、与那国島の旅行者は海上で小浜節(小浜島の民謡)を唄うのを嫌っています。
小浜男は再び与那国島へ帰ってきました。或夜、男は上機嫌で家族と話しあっていました。すでに子供七人も生まれていることだし、話してもさしつかえないだろうとの気持から、犬の死骸の埋めてある場所を、しゃべってしまいました。
その夜、女は家出しました。あくる朝、男が不審に思って、犬を埋めてある場所へ行ってみると、女は犬の骨を抱いて死んでいました。この話から、与那国島の俚言に、子供七人生んでも、まだまだ妻に気を許してはいけません、と言うのがあります。この五男二女から与那国島は栄えてきました。(『与那国の歴史』)
②沖縄先島・沖縄県八重山郡与那国町~小浜島の農夫が、小舟で西表島に薪取りに行く途中、強風に襲われ漂流したが、暁方に陸地を見つけて上陸してみると、一軒の小屋に女が一人住んでいた。女は、島人を皆殺しにした猛犬と住んでいるのだから、すぐに帰れと男に勧めた。男は斧を借りて庭の蒲葵の木に登って猛犬を待ち、やがて戻ってきた猛犬を一撃のもとに打ち殺した。男は、女と同棲することとなったが、故郷も忘れがたく、一旦小浜島に立ち戻ったところ、元の妻が織りさしの布を断って絶縁を告げたので、再び犬の女の与那国島に渡り住んだという。(『与那国島図誌』)
※ティンダハナの中腹。犬の死骸を埋めた場所を「いた」と称すが、「いぬがん」の東南方にある、大きな扁平の黒石が「いた」。「いぬがん」への生き方は、祖納集落の入り口にある派出所から、右に二本の道があり、手前の山道を上がっていくと、遊歩道「パサグ道」入り口の、駐車スペースがある。パサグ道は、先に、サンアイ・イソバの碑があり(※サンアイは村名で、イソバが名。サンアイは村跡ツイヌトニにもサンアイ・イソバの碑がある。ツイヌトニは探すのが大変な上、悪路だった。)、その直ぐ先に、大きな洞穴「いぬがん」があり、奥から小さいながら清水が流れ出ている。その流れを「いぬがん・から」という。(※更に、パサグ道を進んだ所にも、清水が多く流れ出て、立派な石で受けを作った物、碑などもある。 )
①沖縄先島・沖縄県八重山郡与那国町~大昔、久米島から、特別仕立ての船が、琉球本島へ向って出帆しました。その船は琉球中山王に奉る貢物を積んでいました。ところが荒天に遭って、とうとう漂流してしまいました。流れ流れて、ようやく辿り着いた所は与那国島でありました。上陸して見ると住み心地のよさそうな無人島でありました。この一行に一人の女と一匹の犬が加わっておりました。ところが或夜から、一行の中の男が一人一人行方不明になって、ついに女と犬だけが生き残りました。男達は犬にかみ殺されたのであります。それから女と犬は「いぬがん」と言う所で、一緒に暮しておりました。
話かわって、お隣の小浜島で、或日、一人の漁夫が小舟に乗って、潮干狩へ行きましたが、帰る途中に、にわかの荒天にあって漂流しました。彼もまた流れ流れて、たどり着いた所は与那国島でありました。上陸して見ると人家はありません。此処彼処さがし廻って、ようやく「いぬがん」にきました。ここで、小浜男は久米島女に会いました。女は大変驚いて、此処には猛犬がいて、危険な所でありますから、今、犬の不在を幸いに、早くこの島から逃げてください、とうったえました。
しかし小浜男は久米島美人の手前もあったのでしょうか、島を逃げ出そうとしないで、かえって勇気をふるいおこして、猛犬退治を決心しました。それで、久米島女には島を去るように見せかけておいて路ばたの大樹にのぼっていました。腰には蛮刀をさしこみ、手には漁獲用の銛をもっていました。案の定、まもなく猛犬が現われて、樹上の男を見るや、たけりたって大木にとびかかりました。男は機を見て、犬に銛を打ちこみましたが、犬はますます猛り立って、なかなか弱りませんでした。それで男は樹からとびおりて、直ちに蛮刀を犬にあびせかけました。流石の猛犬もついにたおれてしまいました。
小浜男は、久米島女に会って、いさましく犬退治の始末を話ました。久米島女は、犬の死骸はいずこに埋めてありますか、と聞いただけで、後はだまってしまいました。小浜男はどうしたのか、犬の死骸の埋めてある場所を話しませんでした。そのうちに、この二人は夫婦になって、五男二女を産むまで幸福に暮らしておりました。しかし好事魔多しで、ついにこの小浜男に不幸な時がきました。それは、小浜男がふる里を思う心をたち切ることが出来なかったために、小浜島へ帰ったことから始まります。
今浦島のように、故郷の小浜島へ帰ってきた小浜男は、島の人々をびっくりさせました、長い月日を波の音と共に暮してきた老妻は涙を流して夫を迎えました。漂流の話、与那国島の話、その後の小浜島の出来事等々語り交わしている内に、月日は流れてしまいました。或日、小浜男は老妻に与那国島にのこしてきた家族の事のしだいを話しました。そうして再度の与那国島行きの話をしましたら、老妻は怒ってなかなか聞き入れませんでした。それで、男はある夜ひそかに小浜島をにげ出しました。怒った老妻は、小浜島と与那国島とは縁を切った、と叫んで、機にかけてあった織物を断ち切ってしまいました。その因縁によって、今にいたるまで、与那国島の旅行者は海上で小浜節(小浜島の民謡)を唄うのを嫌っています。
小浜男は再び与那国島へ帰ってきました。或夜、男は上機嫌で家族と話しあっていました。すでに子供七人も生まれていることだし、話してもさしつかえないだろうとの気持から、犬の死骸の埋めてある場所を、しゃべってしまいました。
その夜、女は家出しました。あくる朝、男が不審に思って、犬を埋めてある場所へ行ってみると、女は犬の骨を抱いて死んでいました。この話から、与那国島の俚言に、子供七人生んでも、まだまだ妻に気を許してはいけません、と言うのがあります。この五男二女から与那国島は栄えてきました。(『与那国の歴史』)
②沖縄先島・沖縄県八重山郡与那国町~小浜島の農夫が、小舟で西表島に薪取りに行く途中、強風に襲われ漂流したが、暁方に陸地を見つけて上陸してみると、一軒の小屋に女が一人住んでいた。女は、島人を皆殺しにした猛犬と住んでいるのだから、すぐに帰れと男に勧めた。男は斧を借りて庭の蒲葵の木に登って猛犬を待ち、やがて戻ってきた猛犬を一撃のもとに打ち殺した。男は、女と同棲することとなったが、故郷も忘れがたく、一旦小浜島に立ち戻ったところ、元の妻が織りさしの布を断って絶縁を告げたので、再び犬の女の与那国島に渡り住んだという。(『与那国島図誌』)
※ティンダハナの中腹。犬の死骸を埋めた場所を「いた」と称すが、「いぬがん」の東南方にある、大きな扁平の黒石が「いた」。「いぬがん」への生き方は、祖納集落の入り口にある派出所から、右に二本の道があり、手前の山道を上がっていくと、遊歩道「パサグ道」入り口の、駐車スペースがある。パサグ道は、先に、サンアイ・イソバの碑があり(※サンアイは村名で、イソバが名。サンアイは村跡ツイヌトニにもサンアイ・イソバの碑がある。ツイヌトニは探すのが大変な上、悪路だった。)、その直ぐ先に、大きな洞穴「いぬがん」があり、奥から小さいながら清水が流れ出ている。その流れを「いぬがん・から」という。(※更に、パサグ道を進んだ所にも、清水が多く流れ出て、立派な石で受けを作った物、碑などもある。 )
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くがなーサン。はいさい、今日(ちゅう)拝(うが)なびら。
そうなんですか?
この民話で、初めて知りました。
やはり、本には、そういったことまでは書いてありませんので、
勉強になります。
いっけない!
小浜島の読み方、間違えました!みなさん、すみません。m(_ _)m
恥ずかしながら、小浜島に行った事があるというのに。
今、「こはまじま」に訂正しました。
実は、ボッ~として書いてしまったのと、
長崎県の小浜(おばま)の「小浜観光ホテル」に、
かつて、仕事でしょっちゅう泊まっていたので(つぶれてしまいましたが)、
ついそれが出てしまいました。
それにしても、「くばまじま」って読み方は、存じませんでした。
さすが、くがなーサンです。
しかも、
石垣島でいう、「くもー」「くもーま」って、小浜島の事だったんですねぇ。
前に聞いた時、何のことを言っているのかと、その時におもったのを思い出しました。
また謎が一つ、解けました~。
いつもコメントありがとうございます。
では。
そうなんですか?
この民話で、初めて知りました。
やはり、本には、そういったことまでは書いてありませんので、
勉強になります。
いっけない!
小浜島の読み方、間違えました!みなさん、すみません。m(_ _)m
恥ずかしながら、小浜島に行った事があるというのに。
今、「こはまじま」に訂正しました。
実は、ボッ~として書いてしまったのと、
長崎県の小浜(おばま)の「小浜観光ホテル」に、
かつて、仕事でしょっちゅう泊まっていたので(つぶれてしまいましたが)、
ついそれが出てしまいました。
それにしても、「くばまじま」って読み方は、存じませんでした。
さすが、くがなーサンです。
しかも、
石垣島でいう、「くもー」「くもーま」って、小浜島の事だったんですねぇ。
前に聞いた時、何のことを言っているのかと、その時におもったのを思い出しました。
また謎が一つ、解けました~。
いつもコメントありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2010年11月23日 11:37
基本的に未だに与那国と小浜の住民同士の婚姻する確率が他より尋常じゃなく低いし確執は底辺にまだまだありますね。
黒島や波照間や西表と与那国の婚姻は普通なんですがねぇ。
ちなみに小浜島は「こはまじま、くばまじま」が正しい読み方ですよ、石垣島方言では「くもー」とか「くもーま」とか呼んでいますが。
黒島や波照間や西表と与那国の婚姻は普通なんですがねぇ。
ちなみに小浜島は「こはまじま、くばまじま」が正しい読み方ですよ、石垣島方言では「くもー」とか「くもーま」とか呼んでいますが。
Posted by くがなー at 2010年11月23日 00:50
セコムさま。
アハハハハハ。セコムとは重ならないでしょ!
取り敢えず、可愛いセコムを抱きながら読んで頂き、にふぇーでーびる。
ん~、でも、セコムもやはり犬。
DNAの中には、猛犬の血が、確かに流れているんだろうなぁ。
なお、
恐らく、今日の民話もまた、実際の「犬・猛犬」なのではなくて、
まるで「猛犬」に相応しい「人間の男」がいて、
その人間の比喩だと、思います。
民話に出てくる動物は、そういう場合が少なくありません。
夫婦でも秘密にしておかなければいけない事?
これは、誰にとっても、難しいことです。
その方がいい場合も、逆の場合も、色々ありますから。
しかも、
古代から、東西を問わず、文学作品において、たびたびテーマにされ、
人類のテーマの一つでも、あります。
大げさですが、事実です。
いつもコメント、ありがとうございます。
では。
アハハハハハ。セコムとは重ならないでしょ!
取り敢えず、可愛いセコムを抱きながら読んで頂き、にふぇーでーびる。
ん~、でも、セコムもやはり犬。
DNAの中には、猛犬の血が、確かに流れているんだろうなぁ。
なお、
恐らく、今日の民話もまた、実際の「犬・猛犬」なのではなくて、
まるで「猛犬」に相応しい「人間の男」がいて、
その人間の比喩だと、思います。
民話に出てくる動物は、そういう場合が少なくありません。
夫婦でも秘密にしておかなければいけない事?
これは、誰にとっても、難しいことです。
その方がいい場合も、逆の場合も、色々ありますから。
しかも、
古代から、東西を問わず、文学作品において、たびたびテーマにされ、
人類のテーマの一つでも、あります。
大げさですが、事実です。
いつもコメント、ありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2010年11月22日 21:23
Posted by セコム at 2010年11月22日 20:55
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