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パルマッツーの由来 ~琉球沖縄の伝説

2010年11月29日

Posted by 横浜のトシ(爲井) at 20:20│Comments(0)琉球沖縄の伝説・沖縄先島編

みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第47話。


パルマッツーの由来(ゆらい)



 (むかし)のお(はなし)です。
 ある時代(じだい)多良間島(たらまじま)では、一人前(いちにんまえ)(とし)になるとみんな、(あわ)精米(せいまい)した(こめ)(たわら)(ぜい)として上納(じょうのう)しなければなりませんでした。
 その(たわら)とは、三斗(さんと)()りを一俵(いっぴょう)として(かぞ)えて、それぞれ三俵(さんぴょう)ずつ(おさ)めていました。
 その時代、(あわ)(こめ)(ゆた)かに(みの)った年には、人々(ひとびと)年貢(ねんぐ)無事(ぶじ)(おさ)()えてはじめて、一安心(ひとあんしん)したものでした。それから(のこ)った物を、それから一年間の家族の食料にしたり、(ほか)(もの)交換(こうかん)しながらやりくりし、()らしていました。
 反対(はんたい)に、(あわ)(こめ)(ゆた)かに(みの)らなかった(とし)の場合、それからの一年間(いちねんかん)の暮らしがどれほど大変(たいへん)だったかは、今更(いまさら)()うまでもありません。
 さて、ある(とし)の、多良間島(たらまじま)(あわ)(こめ)収穫(しゅうかく)する時期(じき)がやってきた時のことです。
 (おどろ)いたことに、収穫(しゅうかく)する(はず)だった(あわ)(こめ)も、島から(すべ)てなくなっていたのでした。当然(とうぜん)島中(しまじゅう)大騒(おおさわ)ぎになりました。
 ところが(だれ)仕業(しわざ)一向(いっこう)にわからず、また何者(なにもの)がやって()()()るのか理由(りゆう)もわかりません。それでいて、それからも(ぬす)みはずっと続き、(おな)じことが、それから何年(なんねん)(つづ)いたのでした。
 ある(もの)(かんが)えました。
 「いくらみんなで相談(そうだん)し、また、みんなで順番(じゅんばん)見張(みは)りを()てたところで、(すこ)しも状況(じょうきょう)は良くなっていない。こんな(こと)がこれ以上(いじょう)(つづ)けば、やがて家族がみんな()()にしてしまう。()(かく)、こうなったら、他人(たにん)(まか)せにしてばかりではいられない。みんなには(だま)って、一晩中(ひとばんじゅう)(はたけ)見張(みは)って犯人(はんにん)()()めてやろう。」と、そう決心(けっしん)した者がおりました。
 さて、その(よる)になりました。
 (つき)()かりで(はたけ)(うつ)()されたものですが、それは山羊(やぎ)のようでもあり、しかしよく見てみると、(なん)とも言いようのない(はじ)めて見る動物(どうぶつ)(たち)でした。それらは何処(どこ)からともなく(あつ)まって()て、(あわ)をあっという()(すべ)()()ると、(いそ)いで(かつ)ぐなり()()したのでした。
 (かく)れて一部(いちぶ)始終(しじゅう)を見ていた(おとこ)は、()()していくなり、その(なか)一匹(いっぴき)()らえて言うことには、
 「こいつめ。まったく(なん)という事を今までしてくれたんだ。みんなが、毎日毎日、大変(たいへん)苦労(くろう)をして(そだ)ててきた(あわ)(こめ)を、真夜中(まよなか)にこっそりやって()(ぬす)むなんて、ぜったいに(ゆる)せん。」と。
 すると、その動物が()うことには、
 「(わたくし)(たち)も、本当(ほんとう)ならこんな難儀(なんぎ)な事など、したくはないのです。あくまで命令(めいれい)(したが)っているに()ぎません。」と。
 そこで男は、(だれ)命令(めいれい)なのかと詰問(きつもん)しました。
 すると動物が話すことには、
 「神々(かみがみ)です。
 この(しま)人間達(にんげんたち)は、自分達が(はたら)いて(あわ)(こめ)(そだ)て、それが自分たちの(ちから)だけで出来るものだと考えるようになって、今では誰一人(だれひとり)神々(かみがみ)感謝(かんしゃ)しなくなってしまいました。
 それで龍宮(りゅうぐう)の神や、山の神はじめ、神々が相談(そうだん)して、このままにしておく事は出来(でき)ないという(こと)になったのです。
 自分達(じぶんたち)知恵(ちえ)のなさと(おろ)かな(おこな)いに気付(きづ)かせるために、私達は、龍宮の神の(しもべ)として、このような(こと)をさせられているのです。
 そもそもあなた(たち)人間が、神に感謝の気持を(ささ)げていれば、私たちは、こんな大変な(こと)などしなくて()むのです。」と。
 「なるほど、話はわかったが、ところで一体(いったい)、神への御礼(おれい)(ささ)げるには、どのような事をすれば()いというのか。」と。
 するとその動物が、少し(おどろ)きながら言うことには、
 「(てん)(めぐ)みによって収穫(しゅうかく)した初物(はつもの)というものは、そもそも神にお(そな)えしなければならない。」と。
 男が、実際にはどのような御礼(おれい)をすれば良いのかと(くわ)しく聞くと、動物が答えていうことには、
 「三斗(さんと)一俵(いっぴょう)として、その三俵(さんぴょう)を、(はたけ)()(なか)石盛(いしも)りの上に、御神酒(おみき)と一緒にみんなでお(そな)えして、感謝(かんしゃ)しなさい。
 すると龍宮の神、山の神(たち)がそれを受け取って、毎年、雨を()らせてくれます。そして、穀物(こくもつ)豊作(ほうさく)(めぐ)まれるのです。もちろんそれをすれば、君たちどころか(わたくし)たちもこんな事をしないで()みます。」と。
 すると男が考え()んで言うことには、
 「しかし私たちにとって、みんなで三俵(さんぴょう)といっても三斗の俵が三つとなれば、九斗(きゅうと)にもなる。それだけ余分(よぶん)に畑から(あわ)(こめ)収穫(しゅうかく)することなど出来(でき)はしない。
 いったい私(たち)は、どうすればいいというのだろう。むしろいっそのこと、(なに)も作らない方がましかもしれない。」と。
 それを()いて、その動物が言うことには、
 「(なん)馬鹿(ばか)なことを言うのだ。神に(ささ)げる場合は、蝸牛(かたつむり)(から)一つを一斗(いっと)と数えて、その三つ(ぶん)一俵(いっぴょう)とし、その三俵(さんぴょう)を神にお(そな)えするのが(なら)わしだ。お神酒(みき)も同じだけ(そな)えれば、それが龍宮の神、山の神はじめとする神々(かみがみ)に対する感謝(かんしゃ)()になる。それをしさえすれば、君たちは安心(あんしん)して、毎年、(あわ)(こめ)豊作(ほうそく)になる。」と、そう(おし)えてくれました。
 こうして、多良間島(たらまじま)ではその後、蝸牛(かたつむり)(から)(はか)って(あわ)(こめ)をはじめとする品々で、神にお(そな)えするようになって、多良間島(たらまじま)で人々が暮らし始めた最初の(ころ)のようにまた、穀物(こくもつ)豊作(ほうそく)(つづ)くようになりました。
 そしてこの話は、多良間(たらま)のパルマッツーの始まりとして長く子孫(しそん)に伝えられ、今日に(いた)っていますが、時代が()わって生活も変化(へんか)したためでしょうか、また近頃(ちかごろ)では(かみ)へのお(そな)えや感謝(かんしゃ)祭事(さいじ)(いの)りが減って、あまりしなくなってきたそうな。

 
 
※この話の参考とした話
○沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間村~『多良間村の民話』
沖縄本島・沖縄県島尻郡粟国村~「沖縄民俗」十五号
沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間村仲筋~『多良間村の民話』


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●伝承地
○沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間村~昔は、多良間では、まず一人前になったら、粟の上納を一人につき、精米したものの俵を、三斗入りを一俵として、それを三俵ずつ納めていたらしいので、これが豊かに実って上納も納めたりしていたが、それが済めば安心して、残りは家族も食べようと思っていたけれども、ある年から収穫しようとしたら、全部なくなっていてね、何者が来て苅り取ったのか、盗まれてばかりいて、それから同じことが幾年か続いた後、
 「このようなざまではどうしようもない。このままでは他人と同じようなことはできない」と夜中に畑へ行って見張っていると、そこに見えたのは、山羊のようでもあり、何とも言いようのない初めて見る動物が集まって来て、粟を全部苅り取って担いで逃げて行くので、
 「こら、こんちきしょう」とその中の一匹を捕えて
 「なんということだ、人間が毎日苦労して育てあげたものを、しかも真夜中に来やがるとは」と言うと、その動物が言うことには、
 「私たちも、本当はこんな難儀なことはしたくないよ。だけど、君たちは自分だけの働き、自分の力だけで、粟を作っていると思っているに違いない。そのことを、竜宮の神、山の神、みんなで相談して、このままではいけないので、知恵を与えなければなら.ないと、それを気付かせるために竜宮の神様の使いで来たのだ。そこで、君たちが感謝の気持を捧げてくれると私たちもこんな難儀なことをしなくてすむよ」
 「御礼とはどのようなものだ」とその動物に聞くと、
 「君たちは、物のお初をお供えしたことはないが、そんなことではいけない」と言うので、
 「では、御礼とはどんなことをすれば良いのか」と聞くと、
 「一俵を三斗とし、その三俵を畑の真中の石盛りの上に、御神酒と、俵を三俵お供えしなさい。こうお供えすると、竜宮の神、山の神も受け取って、毎年、毎年、君たちは豊作に恵まれるのだよ。このことを気付かせるため私たちが来たんだよ。君たちさえそうすれば、私たちもこんな難儀はしないですむよ」とその動物が言うので、
 「しかし、私たちには、こんなたくさんの、三斗の三俵といえば九斗だし、これだけの物はこの畑からは、とれないし、どうすればいいのだ。それよりは、作らん方がいいのでは」と言うと、その動物が教えるには、 「何と馬鹿な。かたつむりの殻の一つを一斗として、その三つを一俵として、三俵をお供えし、お神酒も君が飲むぐらい供えれば、それが竜宮の神、山の神への感謝になるので、そうさえすれば、君たちは安心して毎年、毎年、粟を豊作していけるのだよ」と教えたので、それから後は、かたつむりの殻で計った一つを一斗として、一俵に三つ入れて、お供えするようになってからは、また最初のころのように、豊作にすることができたそうですよ。
 これが多良間のパルマッツーの始まりだと伝えられ、今日に至っているが、もう最近ではそのようなこともしなくなっているよ。(『多良間村の民話』)
沖縄本島・沖縄県島尻郡粟国村~昔、粟国島には、毎年六月ごろになると、人の目や鼻を取ったり、流産させたりする恐ろしい神さまがいた。困りきった住民の訴えで、今帰仁城から平敷大主という役人が派遣される。平敷大主は、王の命に従って、粟・米で酒やご馳走を作ってヤガンガマの前に持って行き、鐘・鼓を鳴らして神を誘い出すと、神はヤガンガマを出て、ガジヌク御岳、チヂ、イビガナシへ行き、グスクマ大屋のあたりで見えなくなった。その後は、神が暴れることがなくなったので、六月の折目には、ヤガン御岳で、そのときの様子を再現する祭をおこなうこととなった。(「沖縄民俗」十五号)
沖縄先島・沖縄県宮古郡多良間村仲筋~ウプカッジャフ家の先祖が、大道のウプジュクという荒地を開いて、毎年、粟の稔りを得ていたが、ある年、毎晩のように沢山の粟が盗まれた。畑に行って夜通し番をしていると、一匹の小山羊が出て来てつかまえると、小山羊は竜宮の使だと言い、初穂祭をやらないから竜宮の神さまがたいへん怒っておられるので、畑の四隅に、供物を用意し、コシダカサザエの殻に、七杯のお神酒、カタツムリの殻に三杯のお神酒を供えて祭をやれと言う。その小山羊の教え通りパルマッツーをやったところ、それからは毎年、豊かな粟に恵まれるようになった。(『多良間村の民話』)


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