雨乞の祖 ~琉球沖縄の伝説

2010年12月04日

Posted by 横浜のトシ(爲井) at 20:20│Comments(4)琉球沖縄の伝説・沖縄先島編

みんなで楽しもう!
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~

奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第53話。


雨乞(あまご)()



 むかし(むかし)の、黒島(くろしま/くるしま)のお話です。
 むかしパイナーラという島から、(あめ)(かみ)使(つか)いとして、二人の男の子が、黒島(くろしま/くるしま)海岸(かいがん)にやって()て、浜辺(はまべ)(たの)しそうに(あそそ)んでいました。
 そこへ、島人(しまびと)で、ヌバルミヤクという者が、海岸(かいがん)()(まわ)っている(とき)に、この二人の子ども(たち)出会(であ)いました。
 すると子ども達は、自分達には()(いえ)がなく、出来(でき)れば、あなたの家で(やしな)ってくれませんかと(たの)()んだのでした。
 (かれ)は、()(どく)な子ども達だと思いました。(さいわ)い自分には子どもがいなかったので、神の使いとも知らず、即座(そくざ)承知(しょうち)して、二人の子どもを()()()(かえ)り、それからというもの家族同然(どうぜん)に、そして()()として世話(せわ)をしました。
 ところが子ども達は、()べて(あそ)んでいるばかりで、いつまで()っても、少しも(はたら)かないばかりか何ひとつ手伝(てつだ)ったりしません。そこで、(やさ)しく(うなが)して、(たま)()()()しては手伝(てつだ)わそうとしたものの、(すすき)()って(てん)()かって()げながら、やはり子どもたちは(あそ)んでばかりいます。
 (じつ)は、(あめ)(かみ)使(つか)いである子どもが、(すすき)(てん)()かって()げ上げると(あめ)()るのであり、知らない人間が見れば子どもたちの仕草(しぐさ)は遊びのようでも、実はその訓練(くんれん)なのでした。
 しかし、(あめ)(かみ)使(つか)いの子とは知らないヌバルミヤクは、二人の子が(まった)仕事(しごと)も手伝いもせず、食べて遊んでばかりなので、とうとう(おこ)()し、家から出て行くように言ったのでした。
 するとその子たちは家を出てゆく(とき)に、ヌバルミヤクに()かって言うことには、
 「私たちは、神の子なのです。出て行くように()われましたので()()りますが、(いま)まで御世話(おせわ)になった御恩(ごおん)(けっ)して(わす)れた(わけ)ではありません。
 今までの恩返(おんがえ)しに呪文(じゅもん)(おし)えて()()げましょう。雨が()らないで(こま)った時に、これから(おし)える文句(もんく)(とな)えて(てん)(いの)れば、(かなら)ずや(あめ)()ることでしょう。」と。
 そして子ども達はヌバルミヤクに、雨乞(あまご)いの仕方(しかた)(くわ)しく教えてから、その場を()()ったのでした。
 それ以来(いらい)、ヌバルミヤクは、黒島(くろしま/くるしま)雨乞(あまご)いの()となったそうな。

 

※この話の参考とした話
沖縄先島・沖縄県八重山郡竹富町黒島~『竹富町誌』
沖縄先島・沖縄県石垣市登野城~『ばがー島 八重山の民話』


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●伝承地
沖縄先島・沖縄県八重山郡竹富町黒島~往昔パイナーラの島から、雨の神の使いとして二人の男の子が黒島の海岸へやってきて浜辺で遊んでいた。
そこへ島人のヌバルミヤクという者が海岸巡りをしていた時、この二人の子供に出会った。
 子供は私ども住む家がないからあなたの家で養ってくださいと頼み込みました。彼は気の毒な子だと思い、神の使いとは知らず、幸い自分は子供がないからと早速承諾し二人の子をわが家に連れて行き、家族同様に世話をしました。ところが子供たちは食べて遊んでいるばかりで一寸も働こうとしません。たまに畑へ出したらススキを切って天に向かって投げ上げるのです。子供らがススキを天に投げ上げると不思議なことに雨が降るのです。
 仕事をしない子らを見ていてヌバルミヤクはとうとう怒って、家から出ていくように言いました。ところがその子たちは家を出る時ミヤクに向かって言いました。私どもは神の子である。出て行けと言うから立ち去るがお世話になった恩返しに何か教えて上げようと、雨の降らない時にはこういった文句をとなえて祈れば雨が降ると、彼に雨乞いの仕方を詳しく教えて立ち去りました。
 それ以来ヌバルミヤクは黒島の雨乞いの祖としてうたわれるようになったということです。(『竹富町誌』)
沖縄先島・沖縄県石垣市登野城~昔、黒島の東海岸、野原崎の近くに、野原美屋久(ヌバルメーク)という男が、畑を作って暮らしていたが、長いこと雨が降らないで困っていた。たまたま東の海に出て投げ網をしていると、子どものように小さな人が五人、小舟に乗ってやってくる。聞くと、自分たちは雨の神で、黒島で一雨降らそうとやってきたという。美屋久は喜んで五人を家に迎え、ご馳走を作ってもてなした。あくる口、五人は美屋久を連れて畑に出て、薄(すすき)の茎を切りとって、呪文を唱えてそれを天に上げて家に戻ると、その夜は大雨がどっと降った。これを数日くり返し、やがて五人の雨の神は、雨を降らす呪文を美屋久に教えて去った。この神々はさらに石垣島の東岸で、破武名屋(ハンナヤー)の大翁主の迎えを受け、島の乾田の水を与えた。黒島では、日照りになると、美屋久の掘った野原井戸(ヌーバルカー)に集って、美屋久の呪文を唱えてもらうこととなり、これは今も続いているという。(『ばがー島 八重山の民話』)


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にこちんサン、こんにちは。

僕と違って、
本格的に、沖縄の歴史を、ブログで紹介している方は、
もちろん、TI-DAブログ以外でも、
きっと多いのではないかと思います。

TI-DAでは、
「タクトラおばぁーの 琉球昔話」が有名です。
写真も豊富で、デージ、わかりやすいです。

時代遅れかも知れませんが、
僕は、あえて写真は使わず、文字だけで書いていますので、
読みにくいと感じられる方が、いらっしゃると思いますが、
勘弁してやってくださいね。

僕は、そんなに、沖縄の歴史に、詳しいわけでもないんです。

それでも、琉球沖縄の歴史に関して、色々な本を読みました。
沖縄の歴史というと、
どうしても戦争のことが、浮かんでしまいがちです。
それは、今もなお、
戦争の爪痕が、沖縄の、ここかしこに見られるのですから、当然です。
沖縄の僕の旅の最初は、そういった場所が多かったです。

ただ、それだけが沖縄の歴史では、ありません。
琉球沖縄の歴史は、もっと奥深い、長い歴史があります。

沖縄や奄美は、民話の宝庫です。
そしてそれらは、沖縄や奄美に暮らす人々のために、
先祖が残した宝といえます。

一人でも多くの、沖縄や奄美の方々に、伝わると素適だなと思って、
書かせて頂いております。
特に、沖縄や奄美の子ども達に、伝わっていって欲しいものです。

それ以前に、
何と言っても、民話、一つひとつがデージ、僕には、面白いのです。

コメント、ありがとうございました。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年12月05日 16:10


こんにちは
たまに誰のブログか忘れましたが
見たことあります
沖縄歴史に詳しいですね
Posted by にこちん at 2010年12月05日 14:13


昆布山葵さん、はいさい、今日(ちゅう)拝(うが)なびら。

物語上、
ヌバルミヤクなら、100%の確率で雨を降らせることができたと思いま~す。

実際に、
僕が、これを書いていて想像したのは、
このヌバルミヤクという人は、
長い経験に裏打ちされた、
天気予報の中でも、雨が降るのを予測できた、
つまり、天気を読めた人なんじゃないかと、思います。

そしてそれが、この民話になって伝わったのかなと、個人的には思っています。

科学技術や占いより、
人の経験に裏打ちされた知恵って、凄かったりしますからねぇ。

コメント、にふぇーでーびる。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年12月05日 10:33


なるほど。実際のところどうだったのかはともかくとして、雨乞いは神様からの直伝だったんですね。

当時、その祖であるヌバルミヤクなら100%の確率で雨を降らせることができたのでしょうか(〃´`)
Posted by 昆布山葵 at 2010年12月05日 09:58


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