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chi_yuさま、こんにちは。
「うゎーぐゎーまじむん」については、
「最新・琉球沖縄の妖怪「もののけ」たち~大集合/総集編~50音順」
で、少しですが、触れております。
http://totoro820.ti-da.net/e6070268.html
「うゎーぐゎーまじむん」については、
「最新・琉球沖縄の妖怪「もののけ」たち~大集合/総集編~50音順」
で、少しですが、触れております。
http://totoro820.ti-da.net/e6070268.html
Posted by 横浜のtoshi at 2015年08月01日 23:37
横浜のトシ様
はじめまして。
「うゎーぐゎーまじむん」について調べていて、この記事に行き当たりました。
豚は伝わった当初からなにか霊的なものだったんだなと思いました。
ウヮーグワーマジムンについて詳しく書かれたネット上の資料はまだ見つかっていません。
よろしければ、今後の記事で書いていただけると嬉しいです。
このブログも紹介させていただきました。
http://ontheway.ti-da.net/e7813652.html
また勉強に来させてくださいね。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
はじめまして。
「うゎーぐゎーまじむん」について調べていて、この記事に行き当たりました。
豚は伝わった当初からなにか霊的なものだったんだなと思いました。
ウヮーグワーマジムンについて詳しく書かれたネット上の資料はまだ見つかっていません。
よろしければ、今後の記事で書いていただけると嬉しいです。
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http://ontheway.ti-da.net/e7813652.html
また勉強に来させてくださいね。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
Posted by chi_yu at 2015年07月30日 15:11
Giacomo様。こんにちは。
15世紀〜19世紀に限定して、行われていたかは即答できかねます。
まず、
『与那国の歴史』池間 栄三 (1972年) を、図書館でご覧になるといいです。
P38
与那国の葬儀に獣肉料理を喰べる風習は、
上代に死人の肉を食べていた風習の名残だといわれている、とあります。
これは、ごく普通の話です。
その一方で、
「南島古代の葬儀(民族第二巻第五号)」の中には、
『球陽』外巻〜『遺老説伝(いろうせつでん)』と、
どちらが先か、後かは、わかりませんが、
同じ内容が、書かれています。
昔は死人があると親類縁者が集まってその肉を食った。
後世になってこの風習を改めて人肉の替わりに
豚肉を食うようになったが、今日でも近い親類のことを
真肉親類(マシシウヤクワ)というのはこの風習から来ている。
それから、石垣島では近年まで、
親類に死人の出たことを老人に告げると、
「あんすか・むむ・ふぁりんさかめ」、
それでは、また皆で食べられるね、という表現が、
近年まで、残っていたそうです。
宮古島では、最近まで、葬儀に行く意味で、
骨を齧りに行こうという言葉が、残っているそうです。
1959年の話なので、大昔ではなさそうです。
しかしながら、琉球国すべての地域のい話では、ないようです。
また、ある地域に、その風習が残っていたとして、
それが、どんな意味を持っていたかという点が、
もっとも大切な事だと考えています。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2011年03月02日 06:35
Giacomo様。こんにちは。
教科書には、載っていないような話なので、最初、私も驚きました。
しかしながら、
本当のところはわかりませんが、
有史以前どころか、意外に、近い時代に、多かったりするようです。
しかも、日本の色々な所で、行われていたりします。
『球陽』とは、琉球王国の正史として編纂された歴史書で、
その外巻は、『遺老説伝(いろうせつでん)』とも呼ばれます。
鄭秉哲らによって編纂が行われ、1745年には完成し、
その後も1876年まで追記されたとされています。
この手の事を調べる際には、充分な配慮が必要です。
あくまでタブーだという点、
そして、背景にある風習や文化を理解した上で理解しないと、
偏見や、興味本位にとられる可能性があります。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2011年03月01日 12:49
かめきち様。はいさい、今日(ちゅー)拝(うが)なびら。
私も、
以前にこの本を読み進めていって、
この話のところで、かなり驚きました。
ただ、
沖縄の前に、アイヌを調べていた時に、
似たような話を聞いていたのと、
その時に少し調べていたら、
私が住んでいる近いところでは、
伊豆にも、そんな話が、残っていました。
飢饉や、戦争の籠城などで、
こういった状況がよく起こったことは、
古い物語や絵巻物に、たくさん書かれています。
横浜は、昨年、開港150周記念でした。
沖縄経由で、ペリーの乗った黒船がやってきて、
江戸時代までの鎖国から開国して、
まだ、たったの150年しか経っていないのです。
その間に、日清・日露・太平洋戦争をして、負けて、
たったの150年で、急激に世の中が変わり、
人も変わってしまいましたのが、よくわかります。
東京で言えば、
チョンマゲして、刀をさしていたのが、
たった150年で、今のようになりました。
ですから、現代人の価値観や常識が、
いかに歴史的に短く、急激に形成されたかが、わかります。
ですから、必ずしも、人が賢くなり、
世の中が、便利になり、豊かになったとは、
どうも思えないところがあります。
むしろ、逆の面も多い気がします。
いずれにせよ、琉球の歴史、日本の歴史は、ずっとずっと昔から、続いてきたので、
やはり、多くを学ぶ必要がある気がします。
コメント、ありがとうございました。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2010年09月09日 09:04
Posted by かめきち at 2010年09月09日 08:07
ルミさん。はいさい、今日(ちゅう)拝(うが)なびら。
第2の故郷、宮古島への出張、お疲れ様でございました。
本を読んでいれば、いつも小さな驚きの連続です。
そんな中でこれは、この数年で、とても驚いた一つです。
なかなか、この話の裏付けになる資料が見つけにくくて、困りました。
驚いたもう一つは、戦後発行の本を読んでいて、
沖縄の料理のレシピと料理法のところを何気に見ていたら、
「・・・・・・次に豚の内臓を、中性洗剤で洗う。・・・・・・」でした。
肉体的融合は、精神的融合にも、繋がるんだろうなとも、想像していますが、
実際は、当時の人は、どんな感覚だったのか、
今のところ、よい資料は見つけられて、いないんです。
あるいは、その感覚を知っているご年配の人に、出会えていません。
この話の内容に、僕も最初は驚きましたが、
冷静になって、よく考え直してみると、
現代の日本人の感覚で読むから、驚くのであって、
その時代のその場所の感覚で、考えなければいけないと思いました。
すると、
こういった事は、昔は、ごく自然に行われていたのであって、
ということは、
我々、後世に生まれてきた人間の方が、
価値観や感覚をはじめ、変わってきたんだなあと、わかりました。
沖縄の洗骨の習慣なども、同様です。
コメント、ありがとうございました。
では。
Posted by 横浜のtoshi at 2010年09月08日 18:59
横浜のtoshiさん
こんにちは
はじめて こういう風習の事を知りました。
亡くなった方との愛しい肉体的融合から来るものかも知れませんねそう考えると理解出来ます。
エジプトのミイラのように、復活 を願って、肉体をのこす→ 沖縄の場合は自分の体内に少しでも残す事により 愛しい人が自分の中で生きている?みたいな 事かな〜 (肉体的融合?)とも 考えてしまいました。
歴史は深い!世界は広い!いろいろな事があったのかもしれませんね。
toshiさんが かなり配慮されて丁寧にアップされた 事も印象に残りました
良かったと思います
Posted by ルミ at 2010年09月08日 17:21
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