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うこんサン、こんにちは。

聞いたことがない話で、面白かったです。
色々な、考えがあってこそ、楽しいです。

ただ、
「倭国」「倭」が、「日本」という表記に変わり、
それでも初期は「日本」を「ヤマト」と読んでいましたから、
ニンポーがニッポンの語源とする寧波説は、
すこしきびしい感じが、個人的に、してしまいます。

JYOHYKUとは、恐らく、徐福の事だと思います。
2200年前に、不老長寿の薬草を求めて、
旅をしたとされる徐福の足跡は、
世界中、そして、日本各地に伝承されています。
かつては伝説上の人物とされてきた徐福は、
実在が認定されています。

ただし、
まだ統一国家がない時代に、
日本に、はるばるやってきて、
あちこちの地に、足跡を残す、
それは年号からして、かなり無理な気が個人的にはします。

ちなみに神奈川も、ゆかりの地だとか、
子孫が住んでいたとおっしゃている方がいるようです。

『沖縄地名考』は名護の生んだ民俗学者、宮城真治さんですね。
持ってはいませんが、時々、図書館でお世話になります。

それにしても、色々と想像すると、実に楽しいですね。
コメントありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年02月16日 19:01


ハイサイ。はじめまして、足跡から来ました。
うこんと言います
沖縄地名考と言う本の中に那覇の語源は根覇(ニーファ)にあるとしています。

個人的には
中国の寧波(ニンポウ)がニッポンの語源で、ニンポウの日本語読みのネイハがナーファでありそれがニホンの語源だと思っています。

読谷村楚辺の隣集落、今は米軍基地その中にニーファと言う集落があり近くには木綿原遺跡があり、そこには紀元前2.3百年前の南方系弥生人の骨が埋まっています。
紀元前219年に中国のニンポーからJYOHUKUが不老不死の薬草を求め
東南の海に向かって旅立ちます。
そのニンポーがニッポンの語源でしょう。楚辺スビとは宝貝であり、当時のお金のことです。時々のぞきにきます。勉強になりますありがとうございます。
Posted by うこんうこん at 2010年02月16日 15:20


ハイサイ、ポコポコリさん。

そうですか?
波の上ビーチが砂浜でない時、
ナーバ石が、ありましたか?

資料にも、
そのように書かれていて、
そこから、ナーバ石の那覇説があるようです。

波の上ビーチといえば、
どこのアホな役人か知りませんが、
せっかくの海岸の目の前に、
橋を渡してしまうなんて。

あきれてしまいます
(と言いつつ、かなり個人的に利用してますが)。

ちゃんと、
橋より、外まで海岸にして欲しいものです。
那波湾を渡す道は、
景観を壊さないように、
ちゃんと、海の底を通すとか。

なんで、最初から、そうしなかったんでしょうね?

空港から1番近いのが波の上ビーチ。
飛行機の時間まで、
ボッ~とするには最高だったのに。

最近は、
早くに空港に行ってチェックイン。
それから、瀬長島で、ボッ~として、
奥武山公園にバイクを返して、
ゆいれーるで空港に行くことが多いです。

ポコポコリさんは、いいなあ。沖縄に生まれて。
羨ましいです。

コメント、ありがとうございます。
では。
Posted by 横浜のtoshi横浜のtoshi at 2010年02月13日 14:37


きのこがナーバなんですね。おもしろいです。
今の波の上ビーチが砂浜でないときにはナーバ石が
確かにたくさんあったような気がしました。
Posted by ポコポコリ at 2010年02月13日 10:04


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