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~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
~琉球沖縄の、先祖から伝わってきたお話~
奄美・沖縄本島・沖縄先島の伝説より、第114話。
すると
※この話の参考とした話
①沖縄先島・沖縄県石垣市川平~『川平村の歴史』
②沖縄先島・沖縄県石垣市新川~『八重山民話の旅』
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●伝承地
①沖縄先島・沖縄県石垣市川平~大屋家の先祖が宮島御嶽の豊年祈願に供えるシチューイズ(和名めじな)をとりに、なげ網をもって海へでかけた。魚の群れをみつけて網をなげかぶせると、奇怪に魚である筈のものが楕円形の石になっている。不思議におもい、更に群れをみつけて網をなげかぶせたら、又もや同じような石である。一度ならず二度までも奇怪な石にめぐりあったので、この石は普通の石とは違い、なにか由緒があるに違いないと二度目にかぶせた石を、アンツクに入れて持ち帰ったのが、現在宮島御嶽にあるビッチュル石だと伝えられている。(『川平村の歴史』)
②沖縄先島・沖縄県石垣市新川~新川に長崎屋という家があり、その家の人は百姓仕事をしながら漁にも出ていたが、ある日いつものように森を通って漁へ出ようとしたら、灯が見えたので、不思議に思い入って見ると、二つの石が光っていた。それを見て驚き、これは神様に違いないと、二つの石を拝んでから漁に出たところ、その晩は信じられないほどの大漁であった。それから毎日この二つの石を拝んで百姓をすると、今度は農作物がいつもの年と比べられないほどよくできた。村人もこれを聞き、この石を拝むようになった。今はこの二つの石は、長崎御嶽と名付けられ、夫婦石と称されて祀られている。(『八重山民話の旅』)
※アンツク~アンツクとは、「編袋」の意味で、沖縄の八重山諸島で古くから伝わる民具。アンツクは、石垣島の方言で、「あんっく」「あんすく」「あんでぃら」「めった」等とも呼ばれ、材料は、主にアダンの気根の繊維でなった縄を使用。主な用途は、お弁当や道具入れ等で、使い方は、腰に付けたり、肩に掛けたり、手で持ったりと、その時々に応じて使用。石垣市の川平の旧暦9月頃の「マユンガシナ」という行事では、来訪神アユンガナシが、あんつくを腰にぶら下げ、各家からもらう「お餅」「ご馳走」等をアンツクにしまう。
①沖縄先島・沖縄県石垣市川平~大屋家の先祖が宮島御嶽の豊年祈願に供えるシチューイズ(和名めじな)をとりに、なげ網をもって海へでかけた。魚の群れをみつけて網をなげかぶせると、奇怪に魚である筈のものが楕円形の石になっている。不思議におもい、更に群れをみつけて網をなげかぶせたら、又もや同じような石である。一度ならず二度までも奇怪な石にめぐりあったので、この石は普通の石とは違い、なにか由緒があるに違いないと二度目にかぶせた石を、アンツクに入れて持ち帰ったのが、現在宮島御嶽にあるビッチュル石だと伝えられている。(『川平村の歴史』)
②沖縄先島・沖縄県石垣市新川~新川に長崎屋という家があり、その家の人は百姓仕事をしながら漁にも出ていたが、ある日いつものように森を通って漁へ出ようとしたら、灯が見えたので、不思議に思い入って見ると、二つの石が光っていた。それを見て驚き、これは神様に違いないと、二つの石を拝んでから漁に出たところ、その晩は信じられないほどの大漁であった。それから毎日この二つの石を拝んで百姓をすると、今度は農作物がいつもの年と比べられないほどよくできた。村人もこれを聞き、この石を拝むようになった。今はこの二つの石は、長崎御嶽と名付けられ、夫婦石と称されて祀られている。(『八重山民話の旅』)
※アンツク~アンツクとは、「編袋」の意味で、沖縄の八重山諸島で古くから伝わる民具。アンツクは、石垣島の方言で、「あんっく」「あんすく」「あんでぃら」「めった」等とも呼ばれ、材料は、主にアダンの気根の繊維でなった縄を使用。主な用途は、お弁当や道具入れ等で、使い方は、腰に付けたり、肩に掛けたり、手で持ったりと、その時々に応じて使用。石垣市の川平の旧暦9月頃の「マユンガシナ」という行事では、来訪神アユンガナシが、あんつくを腰にぶら下げ、各家からもらう「お餅」「ご馳走」等をアンツクにしまう。
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根原正晴さま、いつも、貴重なご意見や情報を、ありがとうございます。
赤イロ目宮鳥御嶽は、宮鳥御嶽の御通しとして建立されたと聞いております。
「赤イロ目」については、なぜ付いたのか、どういう意味があるのか、
いつからそうなったのか、私が聞いたところではわからないとの事でした。
「赤イロ目」を前につけることで区別しているのかと、
実は私も聞いてみたところ、これもよくわからないとの事で、
ただ、赤イロ目宮鳥御嶽と地元では呼ばず、
あーらおんと呼んでいると、代わりにそんな答えが返ってきました。
他の資料については、現地でお聞きしましたが、わからないとの事で、
やはり『八重山嶋由来記』『琉球国由来記』ぐらいしか、
資料は、なさそうです。
なお、入り口の解説版には、確かに赤イロ目宮鳥御嶽と書いてありました。
御嶽、拝所、部落の方々をはじめ、
祖先の方々、民話や伝承そのもの、学問研究に敬意を表すのは、
まったくもって根原さまのおっしゃる通りで、当然の事だと賛同致します。
いつも、情報をありがとうございます。感謝。
赤イロ目宮鳥御嶽は、宮鳥御嶽の御通しとして建立されたと聞いております。
「赤イロ目」については、なぜ付いたのか、どういう意味があるのか、
いつからそうなったのか、私が聞いたところではわからないとの事でした。
「赤イロ目」を前につけることで区別しているのかと、
実は私も聞いてみたところ、これもよくわからないとの事で、
ただ、赤イロ目宮鳥御嶽と地元では呼ばず、
あーらおんと呼んでいると、代わりにそんな答えが返ってきました。
他の資料については、現地でお聞きしましたが、わからないとの事で、
やはり『八重山嶋由来記』『琉球国由来記』ぐらいしか、
資料は、なさそうです。
なお、入り口の解説版には、確かに赤イロ目宮鳥御嶽と書いてありました。
御嶽、拝所、部落の方々をはじめ、
祖先の方々、民話や伝承そのもの、学問研究に敬意を表すのは、
まったくもって根原さまのおっしゃる通りで、当然の事だと賛同致します。
いつも、情報をありがとうございます。感謝。
Posted by 横浜のtoshi at 2015年11月07日 12:30
根原金殿の表記訂正ありがとうございます。
さて、細かいことになりますが、旧川平村の宮鳥御嶽についての表記
ですが、赤イロ目宮鳥御嶽が正式名称ではないでしょうか?
石垣島には、旧石垣村に宮鳥御嶽があり、四ケ字の豊年祭行事をする
聖地のひとつとして、信仰されています。
川平村との関わり等については、あまり詳しくないのですが、表記については、「赤イロ目」を前につけることで、区別していると思われます。
どちらにしても、御嶽は沖縄での信仰の聖地であり、本土で言うところ
の「御宮」に当たるため、参考にされた文献の資料をそのまま表記され
るのではなく、同御嶽を管理運営している、部落民への敬意を表して、
もう少し調べて頂くことを、節に望みます。
さて、細かいことになりますが、旧川平村の宮鳥御嶽についての表記
ですが、赤イロ目宮鳥御嶽が正式名称ではないでしょうか?
石垣島には、旧石垣村に宮鳥御嶽があり、四ケ字の豊年祭行事をする
聖地のひとつとして、信仰されています。
川平村との関わり等については、あまり詳しくないのですが、表記については、「赤イロ目」を前につけることで、区別していると思われます。
どちらにしても、御嶽は沖縄での信仰の聖地であり、本土で言うところ
の「御宮」に当たるため、参考にされた文献の資料をそのまま表記され
るのではなく、同御嶽を管理運営している、部落民への敬意を表して、
もう少し調べて頂くことを、節に望みます。
Posted by 根原正晴 at 2015年11月04日 23:27
Posted by 横浜のtoshi at 2011年06月04日 23:13
toshiさん
こんにちは~
何か、御利益があるのかな~と思いましたら
やはり大漁、豊作の御利益があったんですね~
でも、網を引き揚げた時2度とも、石が入っていたことを、
ラッキーなことにして、持ち帰るとは、いいですね~
こんにちは~
何か、御利益があるのかな~と思いましたら
やはり大漁、豊作の御利益があったんですね~
でも、網を引き揚げた時2度とも、石が入っていたことを、
ラッキーなことにして、持ち帰るとは、いいですね~
Posted by SUZU at 2011年03月04日 13:42
コメント以外の目的が急増し、承認後、受け付ける設定に変更致しました。今しばらくお待ち下さい。
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